旅するスタッフブログ

下関・角島・萩の旅!パート11

2023年2月1日(水曜日)

萩の観光はまだまだ続きます。
車をホテルの駐車場へ置いて、レンタル自転車をお借りしてぐるっと。

まずは、慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれる「萩城跡」です。
山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていたそう。
本丸には高さ14.4mの五層の天守がありましたが、明治7年(1874)に天守、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されているようです。

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当時にタイムスリップしたかのような景色ですね。建物が残ってないのが残念!

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ここは、玉木文之進旧宅の前から吉田松陰誕生地へ向かう道の入り口です。
「吉田松陰誕生地」と刻まれていました。
そしてしばらく進むと、「吉田松陰先生銅像」。
吉田松陰先生が弟子の金子重輔を従え下田沖のペリー艦隊を見つめている姿には、
松陰先生と重輔の意気込みが伝わってきますね♪

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ここは、堀内鍵曲(だったような気がします。違ったらすみません)
行き止まりかと錯覚するような城下町特有の街路です。

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そしてこちらは、高さ7メートルの日本最大級の高麗門「北の総門」!
藩政時代に、城下町から萩城三の丸に入るために設けられた「大手三つの門(北の総門、中の総門、平安古の総門)」のひとつ。
かつては、昼間は門番が常駐して人の出入りを監視しており、夜は門が閉じられて、鑑札を持った者しか入れなかったようです。

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最後に「萩城三の丸 北門屋敷」の入口(裏出口かな?)がありました。
10年ほど前に泊まったことがあるのですが、素敵なお宿でした。
皇太子殿下・雅子殿下が ご成婚後初めて宿泊された旅館です♪

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まだまだ萩の観光は続きます。

長くなりましたので、また後日アップしますね!
上記のツアーとは別ですが、是非こちらも覗いてみてくださいね。

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